1969-04-18 第61回国会 参議院 科学技術振興対策特別委員会 第6号
○参考人(村山雅美君) 昭和基地の補給といたしましては、「ふじ」がこの輸送を担当するようになりましたから、「宗谷」のときに比べますと格段の進歩がございました。数字で申し上げますと、現在、ことしは約五百トン運びます。平均四百五十トンぐらいの陸揚げをしております。現在の程度の規模、現在程度の人数、すなわち三十名を限度といたします調査につきましては、おおむね「ふじ」の輸送限度はこれでいっぱいいっぱいだと思
○参考人(村山雅美君) 昭和基地の補給といたしましては、「ふじ」がこの輸送を担当するようになりましたから、「宗谷」のときに比べますと格段の進歩がございました。数字で申し上げますと、現在、ことしは約五百トン運びます。平均四百五十トンぐらいの陸揚げをしております。現在の程度の規模、現在程度の人数、すなわち三十名を限度といたします調査につきましては、おおむね「ふじ」の輸送限度はこれでいっぱいいっぱいだと思
○参考人(村山雅美君) 昭和基地を始めたときには、特にIGYということで激しい活動期に入ったわけであります。この活動期、一九五七年から八年にかけてIGYをねらって昭和基地が開かれ、また、南極観測はIGYをねらって共同的な観測をしたわけであります。それからIGYに続く期間として、静かなる期間を通じまして観測し、かつ、数年のIQSY、これで観測の機会があったわけでございますが、このときは日本は基地を閉鎖
○参考人(村山雅美君) 村山でございます。 南極観測に多大の御関心を示され、その一端といたしまして、きょうこの席にお招きされましたことを感謝いたします。 御承知のように、南極観測も再開以来四年になりまして、その基盤は非常に固く、地道に進んでおります。南極観測の再開にあたりまして、次の三つの点をその大きな項目といたしました。 その第一は、日本の持ちます昭和基地をして、恒久的観測基地たらしめるということ
○村山参考人 中曽根先生の御意見のとおりでございまして、私はぜひそういうふうにしたいと思っております。ただ問題は、その飛行機の要員をどこから出すかという問題、また飛行機を買うという問題ももちろんございますが、むしろ要員の問題が非常に問題がございまして、いま研究中であります。
○村山参考人 お答えします。極点旅行ということは、中曽根先生ももちろんその中心になって、非常にやれということをおっしゃっておられることをわれわれよく承知しております。 また、極点旅行の方法として、どういうルートをとるべきかということが一つございます。ただいま昭和基地から考えておりますルートとして、まっすぐ行くルートもございます。あるいは地磁気の子午線に沿って行くという方法、すなわち、地磁気の極点が
○村山参考人 ただいまから御指名によりまして第七次観測の御報告を申し上げたいと思います。 御報告に先立ちまして、私思い出したのでございますが、昭和三十七年の二月の末、われわれが六年にわたりまして観測を続けました昭和基地を閉鎖して、ケープタウンに入港しようとしたそのときでございました。二月二十一日、本委員会におきまして南極観測再開を決議された、こういう電報がわれわれの船宗谷に入りました。まことに本委員会
○村山参考人 イギリスのことについての御質問に応じましてほかのことにも関連してくると思いますが、南極の南アメリカに向かっておるところにパーマ半島という半島がございます。ここにチリ、アルゼンチン、それからあの近所にあります英国のフォークアイランドあるいはサウスジョージア、こういったようなところに、いわゆる南極条約以前の問題としまして、軍事的あるいは領有の問題にからみましてその三つの国が小さい基地をたくさん
○村山参考人 お答え申し上げます。今齋藤先生のおっしゃったことは、ずいぶん知識が深くいらっしゃいまして、ほとんどその通りでございます。 今の御質問は、昭和基地のスペースの問題、あるいは立地条件の問題の二つの点だと思うのであります。 スペースの問題にきつましては、南極におきます基地としまして、あれほどいい岩盤の上に立つ基地はないわけであります。ちょうど昭和基地が立っておりますのは東オングル島という
○村山参考人 私、村山でございます。昭和基地に一年間、いろいろ所定の作業に従事して参りましたけれども、はからずも私昭和基地を開いたときもおりました。中断されるときにもまたその場におりました。まことに感慨無量の感を抱いて昭和基地をさようならしたわけでございます。 そういうような事情でございまして、われわれいわば暗い気持で帰ったのではございますが、帰りの船中におきまして、本委員会で活発な御発言をいただきまして